2024
07.03

モリオカ駅で地元の新聞を買いました。
新幹線内で呼んでいると、投稿欄があり、そこに見覚えのある名前がございました。
「おおっ」
中学校の同級生の女子(現在は人間)でありました。

内容をかいつまみますと、
「夫とレストランで食事をしようとしていたら、車椅子の方が入ってらして、ボーイさんにテーブルの移動を求められたので、快諾しました。ところが帰りに会計の際、車椅子の方が二人の分まで済ませられたとのこと。それを聞いて、驚き、そして『悲しくなった』のです」
という内容であります。
彼女の夫は歯科医で、経済的に裕福だと聞いております。

が、
「悲しくなった」という一文が引っ掛かりました。
しかし、まずは彼女に「読んだよ」とメールを送りました。
しばらくして、彼女からの返信。「青山君(同級生)からも電話があり、おまえおかしいぞ、と言われました」の内容。

やはり、どこかが違うということを青山君も気づいたのだな。

それから東京駅の出の間、どこがおかしいのかをボンヤリと考えました。

食事代を支払われたことに対して「悲しい」がやはり引っかかるのでありました。
では、「嬉しい時」はどんな事態か。「腹が立った時は」。

たとえば、暴力団に席を譲り、食事代がすでに支払われたなら、「得をしたな」と思うかもしれません。
政治家だったなら「バカにするな」と憤るかもしれません。
芸能人だったら「出来た人だ」と感激するかもしれません。

と、場面をモンタージュすると、
彼女が「悲しい」と思った心の内側には、可哀そうな障害者に払わせたという、どこか優越の気持ち、差別的な気持ちが潜んでいるよーな気がいたしますです。

モンタージュ理論は、映画の初歩的な技法であります。
火+女の顔=驚き、恐怖を表す。
赤ちゃん+女の顔=優しさを表す。

この技法を、人間の心の判断に用いることも、鑑定の一つでございます。

彼女の文は「そんなにして頂かなくても良いのに。もうそんな時代なのでしょうか」と結んでございました。

2024
07.02

実家の南東側にも高い塀をめぐらすことにいたしました。
南東の方位は、家相的にとても大事な部位でございます。

土盛りをしておりますが、以前は、ここは来客用のカースペースでございました。
それをしたのは亡父。

もともと土手だったところを家相に無知な父が土を切り崩したのであります。
すると、遠くの坂道から仏間の観音様が、ピカピカ光って、まるで奈良の観光地。
そして凶事が頻発するよーになったのです。

父が亡くなって、まずは土盛りをしました。
その時に工事屋に、「正しい土をもってくること。土管とか大きな石の入った土は厳禁ですからね」
と念を押したのであります。
そして、自分の手で垣根をつくりました。

ところが、近所にあった教育センターの五階建ての建物が取り壊され、すると冬の冷たい風か、その垣根を直撃し、垣根が枯れだしたのでございます。
そして時を見て、「やはり今年」と定め、工事が始まったのでありました。

南東は、つねに清潔さを保っていなければなりません。
庭になっている場合には、できるだけ貴さのある庭を意識すべきであります。

これだけで悪い事は軽減いたしますです。

2024
07.01

実家の裏玄関を封印することにいたしました。

日取りというか、時期は、
「今年しかあるまい…」
計画し、工事屋に依頼したのでありました。

亡父はとてもオープンなお方でありまして、塀を立てるという観念はゼロ。
朝に掃除をしていると、新聞配達人が敷地を斜めに近道し、おはよーございます、と背後から声をかけられることがたびたび。
当然、空き巣にも狙われていたのでございます。

対して、私メは閉鎖的というか排他主義でございまして、父が死んだ翌年に垣根作りから始めたのでございました。
が、
「ここだけは開けでで」
と老母に手を合わせられたので、この裏玄関だけは不用心のままにしていたのでございます。
仮の門だけは作りましたが。

老母は、この裏玄関から出入りし、向かいの松井さんも手料理をココから差し入れてくれていたのでございます。

そーいうことも、いまは思い出。

いままであった仮の門扉をのこすことにいたしました。思い出として。……だけでなく。

じつは、この裏門の方位は家相的に凶。死門の方位でもありますし。
いろいろと策をこうじているのでございます。

まずはこれで七年にわたる家作りがひと段落するのでございます。